理に沿って生きていれば、困ったことは起きません。
理という道を真っ直ぐに歩いていれば、何の障害物もなく歩いて行くことができます。
理を知っていれば、曲がることはありません。
ですが、知らずに歩いていると、真っ直ぐ歩いているつもりが、知らず知らずに曲がっていってしまいます。
例えば、目をつぶって、その場で足踏みをしていても、骨盤が歪んでいたりして、いつのまにか横を向いていたり、その場にとどまっているつもりが、前に進んでいたりします。
生き方で言えば、我(が)とか業(ごう)と呼ばれるものが、骨盤の歪みです。
我とは、自分なりの考え方、生き方、価値観です。
「あの人は、我が強いなぁ」と言ったりするときの我です。
我は、自分がこれまで生きてきて培ってきたもの、学んできたものですが、必ずしも理とは一致しません。
業というのは、家庭のルールや家柄、国や地域によって信じられている倫理や道徳など。
理とは、法則ですから、国が変わっても時代が変わっても変わらないもの。
でも、私たちは、自分がこれまで幸せになるために生きてきた中で見出した自分なりの法則を信じて生きていて、知らず知らずに理からそれて歩いているのです。
子供の頃に泣いたら大人が助けてくれて育った人は、大人になっても無意識に泣いて助けを求めてしまいます。
困っている人には親切にしなさい、と言われて育ったら、自分を犠牲にしても人のために尽くして身を滅ぼすかもしれません。
大学に行くことや良い企業に就職することが必ずしも幸せとは限りません。
どんな人とも仲良く、と教わりますが、大人の世界でもいじめがあったり、いがみ合ったりしています。どんな人でも、自分と気が合う人、合わない人がいるから、誰とでも仲良くしようとするとしんどいですね。
我や業の中でも理に沿っているものもありますが、そのほとんどが理に沿っていないから、多くの人が、困ったことが起きて悩んでいるわけです。
理に従えば、困ったことは起きないし、悩めなくなるんです。