非難、悪口は受け止めて流す

非難されてたり、悪口を言われても、反論したり、相手のことをどうにかしようとしたり、自分もその人の悪口を陰で言っていたら、何も解決しません。

聞かないようにしようとしても、気になってしまったり、相手に「無視しやがって!」と思われて、更に悪化してしまいます。

逆に、どんな人にも好かれようと、いい人になっても、それを良しと思わない人が出てきます。これも解決になりません。

相手の言葉を心の中に入れてしまう、つまり「受け入れて」しまうから傷ついたり怒りが出てきます。

無視はせず、心の中に入らないように手前で「受け止めて」流すことができれば、何を言われても大丈夫な自分になれます。

そうすれば、心は平穏なまま真摯に自分と向き合い、成長していけると思います。
***お釈迦様と悪口男***

あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい。」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。

ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。

「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない。」

そして、その日が来ました。

男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。弟子たちはくやしい気持ちで、

「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」

とお釈迦さまにたずねました。それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。

どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男にたずねました。

「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか。」

こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。

「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな。」

男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。お釈迦さまは静かにこう続けられました。

「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。でも、私はその ののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ。」

人の口は恐ろしく無責任なものです。ウワサとか陰口というものは、事実と違って、ずいぶんとでたらめなことがよくあります。

ウワサや陰口だけではありません。図太い神経の持ち主で、目の前にいる相手に向かって、直接ひどいことを言う人もいます。「それ、私の上司です」と苦笑いしたくなる人もいるかもしれません。

自分を非難されるようなことを言われたら、たいていの人が、ダメージを受けます。傷ついて落ち込んでしまったり、腹が立ってイライラしたりすることも、あるでしょう。

でも、お釈迦さまは、違いました。人前で恥をかかされることを言われても、ちっとも動じません。その場を立ち去ることもせず、じっと相手の話を聞いているのに、口応えもしません。それでいて、まったく傷ついたり怒ったりしないのです。

お釈迦さまは、相手の言葉を耳に入れても、心までは入れず、鏡のように跳ね返しました。ですから、まったくダメージを受けないのです。

言葉は時として、人の心を傷つけることのできるナイフになります。しかし、心がナイフより固くて強ければ、痛くもかゆくもないのです。ひどいことを言う相手を責めても、仕方ありません。それより、自分の心を強くする方が、簡単で効果的です。

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